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退屈しているおっさんの日記

北区ACT STAGE「飛龍伝2014」2014/08/02 マチネ

 俺が最も見たい芝居のひとつ、飛龍伝90。つかさんは言う。
「芝居は消えるから美しい。」
「男女の別れを支える背景としての冬の海。それは世界中の何処を探しても存在しない。そんなものは客の心の中にしかない。」

 そんなわけで、俺の心の中にある飛龍伝は、震えるほど素晴らしい。飛龍伝2014には期待が大きすぎて、勢い辛口になる。

 俺が見た飛龍伝90とは、どうやら解釈が違う。
 11.26最終決戦、山崎一平は神林美智子を、撲殺した。
 飛龍伝2014において、それは故意でない。俺の見た飛龍伝90では、故意。
 故意だから劇的なのだ。故意でなくば、ラストシーンに繋がらない。
 ふたりは、お互いを愛した。ふたりは敵対する組織の、トップだった。革命思想ごと、職務ごと愛した。愛しているから殺し合わなければならなかった。誰かに殺されるよりは、自分の手で殺さなければならなかった。それよりも、お互いに殺されることを望んでいた。相手に生きて欲しかったんだ。それが最終決戦前の二人のシーンだろ。
「11.26最終決戦、俺はヘルメットを被っていかないから、おまえ俺のこと殺してくれ。おまえは生きろ。」
 二人が対峙して、美智子の角材よりも先に山崎の警棒が当たった。本気でぶつかり合って、撲殺した。
 本当は美智子に殺されたかったのに、美智子を殺してしまった山崎が、だからラストシーンで美智子に殺され、山崎の魂が救われる。
 これだろ!。現代で成り立つロミオとジュリエットはなにかなと考えたときに、学生と機動隊だろう、と思ったつかさんの着想を実現できない今回の解釈。

 おそらくだけど、北区ACT STAGEは、あるバージョンをコピーしようと思ったんじゃないかな。それは、俺の見た90とは解釈が違ってるんだろう。あるいは、俺の思い出の中にある飛龍伝90がそうなってるから、今回はなんか違うなと思ったんだろう。
 総じて、上手にやってた。だけどつか芝居は、上手にやることが正解ではない。熱なんだ。熱を以てして、脚本上の不整合をつじつま合わせるんだ。
 熱を伝えるためには筋肉が必要なんだ。役者はアスリートなんだ。台詞を怒鳴るたびに肩が震えるようじゃ、役者が不足なんだ。

 春田純一さんだったらこうやるのに、筧利夫さんだったらこうやるのに、富田靖子さんだったらこうやるのに、この台詞が違う、あのシーンが抜けてる、とかそんなことばかり考えてしまう。
「愛でバイクが動くのか。だったら、愛で天気も書いて貰えよ」
からの山崎の顔だよ。

 カーテンコールのダンスに神林美智子不在。結局、男達の物語として演出されたのかしらと思うのは勘ぐりすぎかしら。俺は神林美智子の物語だと思っているのだけど。真っ赤なドレスで踊って欲しかったのだけど。

 指定席取ったら、最前列の一番下手。こんな席じゃ楽しめない。オープニングアクト後の休憩で受付に行って、最後列のど真ん中に変えて貰った。だって後ろの方、がら空きなんだもの。最後列のど真ん中は、役者と目が会うから楽しいんだよね。稲垣里紗さんと睨み合った。

 オープニングアクト、正直要らないと思ったけど、席を替わる余裕が出来たのでその点良かった。

 20年ほど前、イムズにあったぴあカウンターでは、座席表見せて貰えて、客は好きな席を選べた。今はシステムが勝手に選ぶ。コンピュータシステムは進化してるはずなのに、客にとっての利便性は退化してる。なんじゃこりゃ。