.log(ぽちろぐ)

退屈しているおっさんの日記

千景の思い出を書きます。

 2003年9月に、当時付き合っていた彼女の家で、千景は生まれました。ブラックラブラドールレトリバーxシェトランドシープドッグの合いの子です。

 生まれたのは3匹。シェトランドシープドッグによく似た子犬と、ブラックラブラドールレトリバーによく似た子犬はすぐに引き取り手が見つかったようですが、合いの子でいかにも雑種な千景は、貰い手がなく、生家でギドラと呼ばれていました。

 ギドラはひどい。真っ黒で、白い靴下を履いてるなら、黒留袖の似合う昭和女優……淡島千景さんは?というわけで見たこともないのに私は命名しました。翌日、
「ちかげ連れてきたよ〜」
と彼女が真っ黒い子犬を連れてきました。千景はうちの子になりました。(数カ月後に彼女とは別れて千景が残りました。)

 生まれて3日ぐらいでうちに来た千景に、哺乳瓶でミルクを与え、はじめてのうんちを取り上げました。はじめてのうんちは難産で、
「きうう〜ん、きうう〜ん」
と頑張っていたのを、当時の彼女と二人でゲラゲラ笑いました。ごめんね。でも、うんちを引っ張って手伝ってあげたから許してね。最後のうんちも取り上げたし。

 スリッパ、本、ありとあらゆる物は齧られました。飼い主は、出したものは必ずしまう習慣を身に着けました。

 千景が0.8歳になる頃、飼い主はITエンジニアに転職してすぐの案件で、熊本鹿児島長崎を巡る数ヶ月の旅に生かされます。飼い主と離れて、千景は飼い主の実家に里子に出されました。以後、飼い主の仕事がテンパると、しばしば実家に里子に出されました。

 実家に里子に出したとき、入院のとき、最初の晩は鳴き疲れて眠ったようです。それはきっと、今の私の気持ちと同じ。私がいなくて悲しかったね。ごめんね。今になってよくわかります。

 実家の母がボケて、父が死んでからは、里子には出せなくなりました。しかしITエンジニアとして実力をつけた飼い主は、長期出張を断り、数泊の出張はペットホテルに預けるなどして、ほぼ一緒に過ごせるようになりました。

 ここ15ヶ月ぐらいは、残業も休日出勤もなく、長い時間を一緒に過ごせていました。

 食べることがすごく好きで「それちょうだい!食べれるよ、ねえねえ!ねえってば!」とよく喋りました。お米、パン、ピザの耳、軟骨などは分けっこして食べました。おやつをくれそうな人に会うと、じっと見つめておすわりしました。
 かりかりを食べるときは、お皿から一口くわえて、それを床にぶちまけてから食べました。美味しいトッピングがあるときはぶちまけなしでした。
 亡くなる数日前、最後に食べたのは鶏のから揚げです。私が食べてるのを寝床からガン見してたので、一口上げたら噛りつきました。二口目は口に含んだものの「やっぱ要らない!」とペッしました。

 若い頃はかけっこもすごく好きでした。お友達に会ってリードを外してあげると、伏せの姿勢で待ち伏せしてからダッシュしました。狩りをしてるつもりだったようです。カラス、鳩、猫さんを見かけると追いかけ回しました。

 でも基本的には怖がりさんでした。公園デビューしたときは、私の足の間で、しっぽを丸めてガタガタ震えました。
 実家の庭でトカゲを見かけると、吠えるものの手を出せませんでした。
 雷、花火、病院などは怖くて仕方がなかったようです。そんなとき、しっぽを丸めて、抱っこを要求されました。夜中の雷が鳴るとき、雷の音では私は起きませんが、千景がお尻を私に押し付けてくるので目が覚めました。

 私のお手伝いをするのが好きで、掃除機をかけると、抱きまくらを捕まえて腰を振るのがお手伝いだったようです。
 ベッドメイクするときはベッドで暴れるのがお仕事。布団を抱えたりとか。お手伝いしてるつもりですごく邪魔でした。
 洗濯物を干すときや食事の支度の際は、足元で床の匂いをチェックするのがお手伝い。
 私がシャワーを浴びているときは、足拭きの上で待機するのがお手伝い。私がゴミを出しに行ったときは、玄関の沓脱で待機するのがお手伝い。

 お散歩のあとは、風呂場で足を洗うときにおやつ、足を洗ったら白内障の目薬して、それからごはん。お散歩は朝晩。お家でうんちはしたくない模様で、大雨以外は、二日酔いだろうが、飲み会のあとだろうがお外に行きました。

 お散歩はウキウキでした。日常は山荘公園、九電記念体育館、西高宮公民館、大宮、薬院。天気の良い休日は、天神中央公園、大濠公園、平和の山のてっぺん、霊園、桜坂や谷のあたり、清川の川沿い、よく歩きました。そのあとはよく眠りました。

 真っ黒ツヤツヤの毛皮は、合う人皆に褒められました。通りがかりのおばちゃんが驚いて
「まー!きれいな犬!」
と言ったこともあります。真っ黒いコッカーの飼い主さんですらも、千景をすごい美犬と言ってました。

 自慢の美犬でした。最近は歳のせいで黒さが弱まっていたけど、それでも15歳と聞くと、人はびっくりしました。

 おもちゃを投げてもらって、引っ張りっこするのが好きでした。最後におもちゃを投げて走り回ったのが、2018-12-10晩のことです。翌日から具合が悪くなって、坂道を転げ落ちるように悪化しました。本当にあわてんぼさんです。

  • 2018-12-11 朝ごはんを嘔吐。晩ごはんを食べない。元気無し。
  • 2018-12-12 朝ごはん完食。動物病院で血液検査。まあまあ元気。

 膵炎が発覚して、2週間後には肝臓の数値がひどい有様になっていました。緊急入院して、点滴に繋がれました。

 1月になって超音波検査したところ、肝臓に二箇所、膵臓に一箇所の影があり、これらが悪性腫瘍だろうと。持って二ヶ月と言われました。

 それからは自宅で皮下点滴を毎日と、ステロイド、プラセンタ、一昨日からは吐き気止めを投与していたのですが、2019-02-27 08:14 心音が停止しました。

 夜中から数度の嘔吐と、苦しそうに鳴いていたので、ずっと撫でていました。撫でることしか出来ないし、そうまで苦しそうなら、病院で楽にしてもらおうと思っていた朝のことです。最後の呼吸も、最後の心音も確認しました。撫でることしか出来ませんでした。

 何をしてもしなくても、人間はアホだからどうせ後悔しかできないのです。でも12月の最初の嘔吐から、最善の方向を選んで、ここまで来たと思います。千景が肉体を離れる時、傍にいれて良かったです。千景もよく頑張りました。頑張らない飼い主、頑張らないわんちゃんならば、もっと早くに逝ったと思います。

 15年5ヶ月2週間。長い修業が終わりましたね。うちの子になって幸せだったかな。生まれ変わって、また会えるかな?。それとも、私の修行が終わる時、迎えに来てくれるのかな?。